荘小太郎頼家の墓

荘小太郎頼家の墓

 児玉党の党主の嫡男である荘小太郎頼家が一ノ谷の合戦で戦没し、その菩提を弔うため、頼家の妻が京都より僧良運を招き、また自らは剃髪し妙清禅尼となって建立したのが宥勝寺の前身である宥荘寺であると伝えられております。当墓地は県指定の文化財となっております。


左 荘小太郎頼家形見の古扇面
右 伝弘法大師筆般若心経一巻

頼家遺品の古扇面等

 一ノ谷の合戦で戦死した頼家の妻は年若くして未亡人になったといわれておりますが、その妻の許に遺品としてこの扇子のみが届いたと伝えられております。現在でもその透かしには僅かに龍の模様を見ることができます。また他に寺宝として有荘太郎家長寄進・伝弘法大師筆般若心経一巻を伝持しております。


チベット砂曼荼羅(十一面観音曼荼羅)
砂曼荼羅・両部曼荼羅

 砂曼荼羅はチベットにおける密教儀式に用いる曼荼羅で本来であれば法要後に破壇するものですが、樹脂によって固めた砂曼荼羅を当寺ではお祀りしております。

また内陣の両壁にはネパールの仏師、ロク・チトラカール師作による両部曼荼羅をお祀りしております。チトラカール師の両部曼荼羅は東京都練馬区の真言宗智山派 慈雲山観蔵院所蔵、仏師染川英輔作 観蔵院曼荼羅を参考に描かれたものであり、言うなれば御大師様と共にやってきた両部曼荼羅が現代日本で再構成され、更にそれがネパールに渡ってあちらの仏師に描かれたという意味では大変珍しいものです。